私の介護保険の原点
- ひろゆき 大石
- 2024年1月11日
- 読了時間: 3分
介護保険が開始したのは、2000(平成12)年4月。
もう24年が経った制度になりました。

介護保険が始まる以前は、措置という時代でしたが、
私はかかわっておらず、措置について語ることはできません。
お役所が、介護サービスを差配していたんだろうなって程度です。
私が介護会社に転職したのが2004年。
広い意味で介護業界に足を踏み入れたのが、2003年でしたから、
介護保険の黎明期をちょっとだけ聞きかじって、体感したのが私です。
そう丁度、ヘルパー2級の資格と取得したのが、2002年秋ごろでしたので、
介護保険の理念は、ばっちり頭に入り、そして感動を覚え、
介護保険の広まりとともに、社会人生活を送ってきました。
介護保険は、「介護の社会化」という崇高な理念をもった制度でした。
あえて、過去形、「でした」と書きますが、3年に1回の改正につぐ改正で、
当初の理念はなくなっしまったようにも見えます。
当初は、女性の社会進出に伴い、
「介護はお嫁さんがやるべきだ、介護は奥さんがやるべきだ」
という考えをやめて、社会全体で介護を負担していこうという考えでした。
保険によって、サービス利用額の全額を支出しなくても、
一部の負担金を負担しさえすれば、介護サービスを受けることができるという制度でした。
しかし、このすばらしい、崇高な理念は、財源不足を理由に、
受けられるサービスは減らされ、負担するお金は増えています。
今年2024年、また改正が予定されていますが、大きな方向性としては、
また使いづらい、負担金が増える方向に動いているような気がしてなりません。
局所的には、サービスの充実・負担金の軽減などがある改定もありますが、
大局的には、自然増を少しでも減らすように、財源を補えるような改正になっています。

元に戻ると、「介護の社会化」、広い意味では「福祉の社会化」。
例えば、保育も全部と言わなくても、
その一部を社会全体で負担できる仕組みがあったら、
少子化を防ぐことができると思います。
同様に、介護の社会化が、当初の理念通り、
介護を社会全体で分散できる仕組みがあったら、
その労力が、育児に向けられたら、やっぱり少子化を
軽減することができるのではないかと妄想しています。
でも、現実は、「介護の社会化」が否定され、
自分でできることは自分でやる「自助(じじょ)」が声高々に叫ばれ、
自分でできないことは、まわりの皆さんと助け合う
「共助(きょうじょ)」でやり過ごしましょうという号令が
かかっているように思えます。
それでもそれでも、できないことは「公助(こうじょ)」。
介護保険などの国の制度で救われるようにしましょうっと、
介護保険が2段階も後退してしまったように思います。

介護保険の改正を迎える度に、冗談のように、ちょっと真剣に、
「もう介護保険はやめて、措置の時代にもどれば」っていうお話をします。
私自身、措置の時代は知りませんが、高齢者や高齢者家族が、
積極的にサービスを取捨選択し、高齢者の生活を少しでも良くしている
現状はあまりありません。
「ケアマネージャーに指定されたサービスを、
絞り込まれた事業者から提供を受ける」。
一見、悪いことのように思えますが、高齢者が高齢者家族が、
介護の知識を増やし、積極的な選択をしていないからこそ、
言われるがままの、サービスになってしまいます。
本当なら、「求めよ、さらば与えられん」であるべきものなのに、
「求めない」から、与えられないのです。だったら、措置で、いいのではないかと。
もちろん、私の本音は、高齢者や高齢者家族に、
様々な選択肢から、ご本人の生活の向上を目指して、選んでほしい、
選ぶことにメリットもデメリットも感じてほしいです。
しかし、金銭的なこと、人口減少に伴うサービス量の低下。
本当に選ぶことが難しくなっているのも現実です。
元の介護保険の形に戻ることは難しいですが、
別の形で、誰もが納得する形の介護を2024年は模索していきたいものです。
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