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見付と中泉——磐田を支えた二つのまちの歴史と、これから

磐田市の中心には、見付と中泉という、性格の異なるふたつのまちがあります。地価のニュースなどでは「どちらが高い・低い」と語られがちですが、今回は少し視点を変えて、それぞれのまちが歩んできた歴史と、そこから見える「これから」を、地域密着の不動産会社の目線でたどってみます。相続した実家がどちらのまちにあっても、その土地の物語を知ることは、これからを考えるヒントになります。

見付——遠江国「はじまりの地」、東海道の宿場町

見付は、かつて遠江国(とおとうみのくに)の国府が置かれた場所で、「遠江国はじまりの地」とも呼ばれます。近世には、東海道五十三次の28番目の宿、見付宿として栄え、中世には東海道屈指の規模を持つ宿場町でもありました。旅人が行き交い、行政の中心でもあった——そんな歴史が、いまの落ち着いたまちなみの下地になっています。

その面影を今に伝えるのが、旧見付学校です。1875年(明治8年)に建てられた擬洋風建築で、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎として、国の史跡に指定されています。古いものを大切に守り、活かしてきた——見付には、そんな土地柄が息づいています。

中泉——家康の御殿と代官所、そして「中泉駅」のまち

一方の中泉は、徳川家康ゆかりのまちです。家康は天正15年(1587年)頃、この地に中泉御殿を築きました。敷地は一万坪とも伝えられ、東海道を行き来する際の休息の場として使われたといいます(御殿は寛文10年・1670年に廃止)。御殿そのものは残っていませんが、その門が市内の西願寺・西光寺に移築され、今も見ることができます。

さらに江戸時代の中泉には、中泉代官所(陣屋)が置かれました。ここは遠江や三河などの幕府領(天領)を治めた中泉代官の拠点で、いわば広い地域を束ねる行政の中心でした。

そして近代に入ると、中泉は鉄道のまちとして発展します。今のJR磐田駅は、もともと1889年(明治22年)に「中泉駅」として開業した駅でした。磐田駅に改称されたのは1942年(昭和17年)のこと。半世紀以上にわたって「中泉駅」と呼ばれたこの駅を中心に、商業と暮らしが広がっていったのです。

二つの中心が、磐田をかたちづくってきた

こうして並べてみると、見付と中泉は、それぞれ違う役割で磐田を支えてきたことが分かります。見付は、国府と宿場を起点とする、歴史と行政・住宅のまち。中泉は、家康の御殿と代官所、そして鉄道の駅を起点とする、商業と利便のまち。

このふたつの性格は、今の暮らしにもそのまま受け継がれています。見付は、旧街道の風情や落ち着いた住環境を大切にしたい人に。中泉は、駅やお店に近い便利な暮らしを求める人に。どちらが上ということではなく、磐田には個性の異なる二つの中心があり、それぞれが補い合ってまちを形づくってきた——そう考えると、わが家のあるまちが、少し誇らしく見えてこないでしょうか。

まちの歴史は、不動産の「これから」にもつながる

まちの成り立ちは、実は不動産の「これから」とも深く関わっています。相続した実家を売る・貸す・活かすといったとき、その家がどんなまちに建っているかは、買い手にとっての魅力に直結するからです。

たとえば見付なら、旧東海道のまちなみや学区、落ち着いた住環境という背景が、住まいを探すご家族に響きます。中泉なら、駅に近い利便性や商業の集まりが、便利さを重視する人に響きます。同じ「相続した実家」でも、その土地の物語や個性を、いちばん響く相手にきちんと伝えられるかどうかで、これからの活かし方は変わってきます。

歴史は、過去の話であると同時に、その土地がこれからも持ち続ける「らしさ」でもあります。見付の落ち着き、中泉の賑わい。どちらの「らしさ」も、住まいの価値を支える、確かな土台なのです。

磐田・見付で、実家のこれからを考える方へ

私たち富士ヶ丘サービスは、磐田市見付を拠点に、介護・相続・空き家に向き合ってきた地域密着の不動産会社です。見付にも中泉にも、長く関わってきたからこそ、「このまちの、この場所なら、こういう人に響く」という現実的な見立てをお出しできます。

相続した実家をどうするか——売る、貸す、住み継ぐ、あるいはまず整理する。どの道を選ぶにしても、その家のあるまちの個性を踏まえて考えることが、後悔のない一歩につながります。見付や中泉で実家のこれからにお悩みの方は、まちの話、思い出の話からでかまいません。肩の力を抜いて、お気軽にご相談ください。

まとめ

磐田の中心を担う見付と中泉は、まったく異なる歴史を歩んできました。見付は遠江国の国府が置かれた「はじまりの地」であり、東海道の宿場町。中泉は徳川家康が御殿を築き、代官所が置かれ、のちに「中泉駅」を中心に鉄道のまちとして発展しました。歴史・行政・住宅の見付と、商業・利便の中泉。この二つの個性は、今の暮らしにも、そして相続した実家のこれからにも、そのまま受け継がれています。大切なのは、その土地の物語や個性を踏まえて、いちばん響く相手に伝えること。磐田市・見付で実家のこれからを考えたい方は、まちの個性も一緒に、お気軽にご相談ください。

※本記事の歴史に関する記述は、磐田市観光協会等の公開情報をもとにした概説です。年代・名称等の詳細は出典をご確認ください。

参考情報(出典)

  • 磐田市観光協会「旧見付学校」 http://kanko-iwata.jp/tanoshimu/tanoshimu-298/

  • 磐田市観光協会「遠江国はじまりの地 磐田に刻まれた歴史をたどる旅」 https://kanko-iwata.jp/plans/history/

  • 磐田市観光協会「ありがた歩記 中泉編(中泉御殿・中泉代官所)」 https://kanko-iwata.jp/wp2/wp-content/uploads/2023/06/B4_nakaizumi.pdf

  • コトバンク「中泉」 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%B3%89-107555

  • Wikipedia「磐田駅(旧・中泉駅、1889年開業/1942年改称)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E7%94%B0%E9%A7%85

富士ヶ丘サービス株式会社/静岡県磐田市見付5789番地1/TEL 0538-31-3308(平日9〜18時)/免許 静岡県知事(2)第14083号/公益社団法人 全日本不動産協会・公益社団法人 不動産保証協会・公正取引協議会加盟事業者/公式サイト https://www.fujigaoka-service.co.jp/ ・ https://www.fujigaoka-service.info/fudosan /ご相談無料。

 
 
 

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